「必要性の丘」vol.2
11月24日東京文学フリマで頒布した「必要性の丘」vol.2より、私以外の二人の句を一句ずつ紹介します。
手にさげてひとひとたちが池帰り
(石山正彦「回覧番」)
一読して、「ひとひとたち」に目を惹かれます。
複数の人を「ひとひと」と表現しているのかと思えば「ひとたち」で意味が重複して戸惑い、「ひとひとたち」は何かわからないまま池に帰ってしまう。
「ひとひと」という冷たく湿った音の感触は幽霊に似ていて、帰る先が池であることもあいまって人ならざるものに遭遇してしまったかのような不吉さを覚えます。「ひと」と、一回余分に言っているのに。過剰に言い募ることによってべつの意味が立ち上がる。
ここまで読んだとき、初句の内包する意味の空白が恐ろしさとともに迫ってきます。何を、「手にさげて」いるんでしょうか?
鳩 さく夜の 和音 から 花火 墓
(杉倉葉「夜営」)
「さく夜の」の「さく」はひらがなによってぼかされているものの「鳩」の次にくることから「咲く」ではなくて「裂く」であるとわかり、最初に鳩の死の鮮烈なイメージがあります。
(ここで一瞬浮かんだ「咲く」は最後から二番目の「花火」によって受け止められていると考えることもできます。)
周到に用意されたa音の頭韻に加え、さらに細かく見ると
ao auouo aon aa aai aa
とa音以外の要素がどんどん削ぎ落とされています。
鳩の死に重ねられた「和音」「花火」はどこか祝祭的でもあり、最後に置かれた「墓」が意味の面でも韻律の面でも句を収束させる、美しい句です。
三者三様の作風で、面白い紙になったのではないかと思います。
今回も編集や手製本の作成をしてくださった杉倉さん、寄稿を快諾してくださったhaikainoさん、本当にありがとうございました。
ネプリ等の配信は行いませんが、ご希望の方にはpdfファイルをお渡しいたしますのでお気軽にお声がけください。